世界大百科事典(旧版)内のオルダの言及
【オルド】より
…トルコ・モンゴル系の遊牧民の君主の帳幕のこと。オルダともいわれた。具体的には帳幕に付属する婦女子,家畜などすべての動産を含めた君主の財産の一そろえをいう。…
【カザフ族】より
…慣習法とイスラム法によって律せられ,英雄叙事詩や滑稽話,純愛をささげる若きヒーローの悲劇など,口承文学を愛した。しかし17世紀には,大オルダ(バルハシ湖~シル・ダリヤ),中オルダ(カザフスタン中部),小オルダ(カザフスタン西部)に分裂し,弱体化していった。大・中両オルダは,勃興したジュンガルの勢力下にはいったが,18世紀中葉,清朝によるジュンガル殲滅(せんめつ)の結果,その名目的な藩属国となり,一部は新疆北部へ移住した。…
【キプチャク・ハーン国】より
…国家の創設者バトゥ(在位1227‐55)はジュチの第2子で,1236‐41年に,キプチャク草原,ロシア,東欧を席巻し,ボルガ下流のサライを中心として国家の基礎を築いた。その際,長兄オルダOrdaらがジュチの本領(イルティシュ流域)を継いで国家の左翼となり,ハーン位を継承したバトゥは,弟のベルケBerkeやシバンShibanらとともに,右翼に所領を占めた。後の史料では,左翼の所領を青帳ハーン国Kök Orda,右翼を白帳ハーン国Aq Ordaと呼ぶこともある。…
※「オルダ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」