オルテニア(読み)おるてにあ

世界大百科事典(旧版)内のオルテニアの言及

【パッサロビツ条約】より

…イギリスとオランダが仲裁国となり,1718年にセルビアのパッサロビツPassarowitz(現,ポジャレバツPožarevac)で締結された。ベオグラード攻略に成功したオーストリア・ベネチア側はこの条約によって,オーストリアはオルテニア(ワラキア西部),バナト,ティミショアラ地方,ボスニア北部とセルビアの一部を,ベネチアは占領地域のモレア半島とエーゲ海の島々,アルバニアとダルマツィアの沿岸地域の一部を領有したが,とりわけオーストリアの南方への領土拡大が目だった(ただしセルビア,オルテニア領有は1739年まで)。オーストリアはオスマン帝国領内の自由な商業権,オスマン帝国領内のカトリック教徒の保護権を獲得して,東ヨーロッパの絶対主義国家としての地歩を固めた。…

【ワラキア】より

…面積は約7万6160km2。 ワラキアという名称はおもに外国人によって用いられたもので,現在のルーマニア人はこれをオルト川を境にムンテニアMuntenia地方とオルテニアOltenia地方に分けて呼んでいるが,歴史上はツァーラ・ロムネヤスカTara Româneascǎ(〈ローマ人の国〉の意)と呼ばれてきた。中世このあたりに住んでいたスラブ人が,ダキア・ローマ人の子孫でロマンス語系の言葉を話す人びとをブラフ人Vlah,Valahと呼んだところからブラフ人の国,つまりワラキアという言葉が生まれ,それがビザンティン帝国や西欧へひろまったのである。…

※「オルテニア」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

2022年度から実施されている高校の現行学習指導要領で必修となった科目。実社会や実生活で必要となる国語力の育成を狙いとし、「話す・聞く」「書く」「読む」の3領域で思考力や表現力を育てる。教科書作りの...

現代の国語の用語解説を読む