世界大百科事典(旧版)内のオール・ロマンス事件の言及
【同和対策】より
…また51年には,解放委と地方公共団体の同和対策関係職員などによって全日本同和対策協議会が組織された。この年,京都市の職員が雑誌《オール・ロマンス》に市内の地域を題材にして差別的な内容の小説を発表した〈オール・ロマンス事件〉を契機とした差別糾弾闘争のなかで,解放委は行政の停滞と怠慢が部落差別を助長させているとして,行政闘争の方針を提起し,地方公共団体に同和行政の質的な転換を迫った。さらに57年からは,部落解放同盟(1955年,解放委が改称)を中心に地方公共団体,民主団体などが結集して,部落解放国策樹立要請運動を進めた。…
【被差別部落】より
…おりしも,〈単独講和〉による日本独立の年であった。
[〈行政闘争〉と〈同和対策事業特別措置法〉]
同じく1951年に起こった京都市の〈オール・ロマンス事件〉は,戦後の部落解放運動の方向を基本的に規定するほどの重みをもつ事件であった。これは,京都市職員が《オール・ロマンス》という雑誌の同年10月号に載せた〈暴露小説・特殊部落〉が被差別部落に対する差別意識を露骨に示すものとして,部落解放委員会京都府連合会の活動家たちの注目を浴びたのに端を発した。…
※「オール・ロマンス事件」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」