世界大百科事典(旧版)内のカシュガル・ハーン国の言及
【カシュガル】より
…もっとも,14~16世紀におけるハーンの支配はいわば間接支配で,この地方の直接の支配権はモグールのドゥグラト家のアミールたちの手中に握られていた。そのため,16世紀初頭,モグールのハーンはこの地方に進出して,その直接支配を開始した(カシュガル・ハーン国と呼ぶ)。一方,16世紀の末以来,この地方には西トルキスタンからナクシュバンディー教団の神秘主義者たちが到着,ハーンらの支持をも得てその勢力を拡大し,17~18世紀,一般にカシュガル・ホジャ家と呼ばれるこの教団の指導者たちの一族は,宗教面のみならず,政治・経済面でもハーンと並ぶほどの実力を発揮したとも伝えられる。…
【モグーリスターン・ハーン国】より
…しかしトゥグルク・ティムール・ハーン(在位1346‐63)の時代にイスラム化すると,王族はしだいに定住民化し,また15世紀の中葉以降,草原地帯にカザフ,ウズベク,オイラートなど新たな遊牧勢力が勃興すると,ハーン国の部民の多くがこれらの新勢力に合流したため,ハーン国は急速に弱体化した。ハーンをはじめとする支配者たちは,遊牧地帯を捨ててタリム盆地の定住地帯に移住し,16世紀初頭には,トゥルファン・ハーン国,カシュガル・ハーン国を形成し,16世紀末までには後者が前者を併合した。【間野 英二】。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」