世界大百科事典(旧版)内のカシュガル議定書の言及
【中ソ国境問題】より
…さらに〈改訂条約〉によって,帝政ロシアはザイサン・ノール以東とイリ西部を版図に編入した。また1884年の通称〈カシュガル議定書〉の〈中(清)露カシュガル地区国境議定書〉および94年のパミール地区の現状維持に関する中(清)露議定書の交換などによって,19世紀のパミール地区のロシア領はサリコル山脈以西にまで拡大された。20世紀に入って1911年清帝国の,また17年ロシア帝国の瓦解が起こったのちも,ロシアの中国侵略,それに伴う国境線の東への移動は,やむことがなかった。…
※「カシュガル議定書」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」