世界大百科事典(旧版)内のカトリック人民党の言及
【オランダ】より
…しかし高度経済成長は60年代前半に激しい労働力不足,賃金・物価の高騰,外国人労働者の移住を引き起こした。第4次ドレース内閣の崩壊(1958)をもって,戦後オランダの政治を支配した,共産党を除く全政党による連立政権の時代は終りを告げ,連立政権の柱だったカトリック人民党(KVP)と労働党が対立を深め,59年の選挙では両党に続いて自由民主人民党(自民党。VVD)が第三党として浮上した。…
【カトリック政党】より
…しかしカトリック教会とカトリック政党との関係は,国によって,また同じ国でも時代によってかなり異なる。一方では〈教会の権威から出る指示に従う〉としているものもあれば(オランダのカトリック人民党Katholieke Volkepartijの1945年の綱領),他方では非宗派性を強調して,教会からの自立をうたっているものもある。現在ではカトリック教会自身の姿勢がしだいに非政治的なものとなってきており,その意味でカトリック政党とカトリック教会との関係はますます希薄化しているといえよう。…
※「カトリック人民党」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」