カフウェ(読み)かふうぇ

世界大百科事典(旧版)内のカフウェの言及

【イスタンブール】より

… 宮廷の王子たちの割礼式,犠牲祭などの祝祭日には,100種以上にのぼるギルドが実演をしながら行進し,またビザンティン時代の競馬場跡地にあたる〈馬の広場At Meydanı〉や〈肉の広場〉(現,アクサライ地区),〈矢の広場Okomeydanı〉などでは,レスリング,軽業,奇術,道化,馬術競技,弓道大会などが開かれ,宮廷人,高官,ウラマー,民衆がこぞってこれらを楽しんだ。また断食(ラマダーン)月の夜などには,宮廷や高官の邸宅,あるいは広場などでカラギョズ,オルタオユヌorta oyunu(即興劇)が演じられ,16世紀中葉以後に普及したコーヒー・ハウス(カフウェkahve)にはメッダーフmeddāh(語り物師),アーシュクāşık(吟遊詩人)が出入りしてにぎわったが,やがてここは民衆の政治的世論形成の場となり,そうした伝統はロンドンなどヨーロッパ諸都市に伝播した。イスタンブールの民衆芸能を代表するカラギョズは,オスマン紳士(ハジワト)と民衆(カラギョズ)との掛合いを中心にこの町に住む多様な民族の習性を活写している。…

【コーヒー】より

…すでにブンとは呼ばず,一種の酒の名をとって〈カフワqahwa〉というようにもなった。このアラビア語がトルコに入って〈カフウェkahve〉となり,やがて17世紀にヨーロッパ各地に広まり,コーヒーまたはカフェという世界的な通用語を生むに至る。 トルコへは1517年セリム1世のエジプト遠征によって伝わり,54年にはイスタンブールに最初の華麗なコーヒー店Kahve Khāneが開かれ,市民はあげてこの店へつめかける状況であった。…

※「カフウェ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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