世界大百科事典(旧版)内のカメンカ,A.の言及
【フランス映画】より
…〈アバンギャルド映画〉が〈非商業主義の旗をかざして扇動者のごとき役割までも帯びはじめる〉(モーリス・ベッシー)のもこの時代であり(〈アバンギャルド〉の項の[映画]を参照),〈純粋映画〉を求める映画理論が発達するのもこの時代だが,サドゥール《世界映画史》によればフランス映画そのものは〈国際的影響力を少しももたず〉〈恐るべき企業的退廃〉におちいったのが20年代であった。
[亡命ロシア人とアルバトロス映画]
1920年代にフランスのサイレント映画に興味ある役割を果たしたのが,監督のアレクサンドル・ボルコフ,ビクトル・トゥールヤンスキー,ディミトリ・キルサノフ,俳優のイワン・モジューヒン,女優のナタリー・リセンコといった亡命ロシア人の映画集団で,22年にはアレクサンドル・カメンカAlexandre Kamenkaの支配下に映画会社〈アルバトロスLes Films Albatros〉が設立され,ボルコフ監督,モジューヒン主演の《キイン》(1922),トゥールヤンスキー監督,リセンコ主演の《恋の凱歌》(1922)などのほか,マルセル・レルビエ(《生けるパスカル》1925),ルネ・クレール(《イタリア麦の帽子》1927),ジャック・フェデル(《カルメン》1926)等,やがてトーキー時代のフランス映画を支えることになる重要な監督たちのサイレント映画も製作,トーキー時代に入ってからもジャン・ルノアール監督《どん底》(1936)などを製作した。
[フランス映画のトーキー化]
レオン・ゴーモンがフィルムと蓄音機を組み合わせたトーキー映画をパリ万国博に出品したのが1900年のことだから,フランス映画のトーキー化の試みは世界各国に先立って行われていたことになる。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」