世界大百科事典(旧版)内のカラジャンの言及
【大理】より
…大理国は南詔時代の仏教文化を継承してますます興隆せしめ,歴代の国王は仏寺の建立と仏像の鋳造に尽力し,しばしば宋から大量の仏典を求め,退位後は仏門に帰依する者が多く,民間では貧富を問わずどの家にも仏堂があり,老若を問わず数珠を手にしていたという。フビライによって滅亡させられた後に,〈カラジャン〉と呼ばれたこの地を旅行したマルコ・ポーロは,《東方見聞録》のなかで,産金量の多いことと巨大な大蛇の捕獲方法,住民たちが水牛の革で作った甲冑をつけ毒矢と毒薬を携帯していたことを特記している。【礪波 護】。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」