カラーメの戦(読み)からーめのたたかい

世界大百科事典(旧版)内のカラーメの戦の言及

【PLO】より

…68年7月に採択されたパレスティナ国民憲章は,パレスティナ解放の唯一の手段を武装闘争と規定しつつも,ユダヤ人ないしユダヤ教徒とシオニストを区別し,ユダヤ教徒もキリスト教徒もイスラム教徒も平和に共存する,進歩的・民主的・非宗派的パレスティナ国家の設立をその運動の目標に掲げた。 カラーメの戦以後,ほぼ70年代初めまで続く主としてPFLP(パレスティナ解放人民戦線),PLO内の急進派による一連のハイジャックを含む過激な闘争(1970年のヨルダン連続ハイジャック,72年9月ミュンヘン・オリンピック事件,73年8月の日航機ハイジャックなど)は,アラブ支配層の不興を買った。とくに70年9月のヨルダン内戦では,PLOはヨルダン軍によって厳しい弾圧を受け,その活動の根拠地をこれまでのヨルダンからレバノンに移さざるをえなくなった(この弾圧は〈黒い九月〉とよばれる)。…

※「カラーメの戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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