世界大百科事典(旧版)内のカルデア王朝の言及
【新バビロニア】より
…前625‐前539年。カルデア王朝ともいう。カルデア人は前8世紀までに南バビロニア一帯に部族に分かれて定着し,名目的にはバビロン王に臣従していた。…
【ナボポラッサル】より
…カルデア人ヤキン族の出身。アッシリアの宗主権下で海国の首長の地位にあったが,同帝国最後の英王アッシュールバニパルとバビロンにおけるその傀儡(かいらい)であったカンダラーヌKandalanuの死後1年を経てバビロンの王位に就き,新バビロニア王朝(カルデア王朝)を建設した。即位後の10年近くはアッシリアの執拗な反撃に耐えて,もっぱら政権の維持・確立に努めたが,治世10年ころからは攻勢に転じ,毎年のごとくティグリス川沿いあるいはユーフラテス川沿いにアッシリア遠征を行った。…
※「カルデア王朝」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」