世界大百科事典(旧版)内のカルトリ王国の言及
【イベリア王国】より
…古代東グルジアのギリシア語名。自称はカルトリKartli。東グルジアの種族は前4世紀ころ国家形成に向かい,コルキスを除く統一国家を建て,首都をトビリシに近いムツヘタに置いた。伝説ではアレクサンドロス大王の総督に対する反乱の指導者であったパルナバズが最初の王であった。ストラボンによると,住民は王族,僧侶,自由身分の戦士と農民,身分的には王の奴隷とされる平民の4階級に分かれていた。前66‐前65年のポンペイウスの侵入には,激しく抵抗したが,征服された後は好んでローマ化を受け入れた。…
【グルジア】より
… 18世紀はグルジアにとって重要な時期となった。グルジア東部のカルトリ王国とカヘティア王国はイランのアフシャール朝に勝利した後,イラクリ2世(在位1762‐98)の下で合同し,ここにカルトリ・カヘティア王国が誕生する。その結果,この地域が大きなまとまりを見せるようになり,経済的な発展と相まって,いくつかの都市が出現する。…
※「カルトリ王国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」