ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「カルマ派」の意味・わかりやすい解説
カルマ派
カルマは
「カーギュ派」のページをご覧ください。
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…また,宮廷に入って寵を得るためにタントラ仏教の卑猥な側面を強調して成功するものも現れ,一世紀余り明の後宮を惑乱したため,チベット仏教に邪教淫祠としての千載の汚名を遺した。
[ゲルー派とカルマ派の抗争]
16世紀に入ると,チベット国内では,西部に拠点をもったリンプンパ一族がパクモドゥ派政権から離反して実権を掌握し,17世紀には,同じ西部に拠ったその家臣シンシャーパに権力を奪われた。その間の15世紀初めにツォンカパによってゲルー派(黄帽,徳行派)が開かれ,改革的気風がみなぎると,既成宗派の権威が薄れ,カダム派の多くが転宗したので新カダム派とも呼ばれた。…
※「カルマ派」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月節 (12月前半) のことで,太陽の黄経が 285°に達した日 (太陽暦の1月5日か6日) に始り大寒 (1月 20日か 21日) の前日までの約 15日間...