カルルク族(読み)かるるくぞく

世界大百科事典(旧版)内のカルルク族の言及

【元】より

…中国を支配したモンゴル民族の王朝。1260‐1368年。国号の元は1271年(至元8)に《易経》の乾の〈大いなるかな乾元,万物資始す〉に基づき,定められた。
【政治】
 1205年アルタイ地方に拠る強敵ナイマン部の撃滅をもって完結した太祖チンギス・ハーンのモンゴリア統一によって,後年アレクサンドロス大王の帝国をも凌駕するまでに成長するモンゴル帝国はその政治的基盤を固めた。ところで牧畜経済にとって唯一の資財たる家畜はその累積がきわめて困難な関係上,遊牧国家がその発展を期するために隣接する異なる経済圏の制圧を企てるのは匈奴帝国以来の通例である。…

【トルコ族】より

…このうち,ビシュバリク,高昌方面におちついた者たちは,9世紀後半,この地の支配権を獲得し,カラシャフルからクチャに至る天山南麓のオアシス地帯をも支配下におく〈西ウイグル王国〉(〈天山ウイグル王国〉ともいう)を建設し,13世紀のモンゴルの侵入時代までこの地域の支配を続けた。一方,チュー川・タラス川方面に向かったウイグル族は先住のカルルク族などと交わって〈カラ・ハーン朝〉(840‐1212)と呼ばれる新国家を建設し,やがて9世紀末には,その支配権をタリム盆地西部のオアシス定住地帯にも及ぼした。かくして,ウイグル族の西方移動を契機として,従来アーリヤ人の居住地であった東トルキスタンには,東の西ウイグル王国と西のカラ・ハーン朝という二つのトルコ族の国家が並立し,以後この地域のトルコ化が徐々に進行し,それは13世紀のモンゴルの侵入期までにほぼその完成を見た。…

※「カルルク族」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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