世界大百科事典(旧版)内のカレラ,J.M.の言及
【オヒギンス】より
…1810年国民評議会が結成されてスペインからの独立運動が起こると,これを支持して南部で挙兵した。傑出した軍人として数々の勝利をおさめたが,同じく独立の英雄カレラJosé Miguel Carreraとの間に確執が生じ,このため14年スペイン軍に敗れ,独立軍はアルゼンチンに亡命した。苦節3年,オヒギンスはサン・マルティン将軍の支援を得てチリに戻り,スペイン軍を破って独立を達成し,17年チリの最高指導者となった。…
【チリ】より
…翌年,国民議会は奴隷の輸入を禁ずる決議を行い,奴隷の子として生まれた者すべてを自由とすることを宣言した。本国政府はペルー副王に命じて軍隊を派遣し,土地貴族であったカレラJosé Miguel Carrera(1785‐1821),オヒギンスを先頭とする独立運動派との間に,ほぼ全土を戦場とする戦いが始まる。独立運動派は14年にいったんは敗北するが,オヒギンスはアルゼンチンのサン・マルティンの支援を得てチャカブコやマイポでスペイン軍を破り,ついに18年に独立を宣言した。…
※「カレラ,J.M.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」