世界大百科事典(旧版)内のガポン組合の言及
【ガポン】より
…神学校在学中トルストイ主義の感化をうけ,1898年首都ペテルブルグの神学大学入学後,労働者街の伝道などに参加。やがて警察のコントロールする合法的労働運動を提唱するモスクワの保安部長官ズバートフと交わり,1903年労働者喫茶クラブを組織し,それをもとに04年当局の許可を得て〈ペテルブルグ市ロシア人工場労働者の集い(通称ガポン組合)〉を設立した。同年末組合員解雇事件を契機にかねて抱いていた考えの実行を決意し,05年1月22日(ロシア暦では9日)の皇帝請願行進(血の日曜日事件)を指導した。…
※「ガポン組合」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」