キョセ・ダグの戦(読み)きょせだぐのたたかい

世界大百科事典(旧版)内のキョセ・ダグの戦の言及

【ルーム・セルジューク朝】より

…さらに13世紀前半,王朝内部の紛糾を収拾したスライマン・シャーに続くカイホスロウ,カイカーウス,カイクバード3代のスルタン時代は王朝の最盛期となった。しかしカイクバードを継いだカイホスロウ2世Kaykhusrau IIの治世(在位1237‐45)にはモンゴル軍の侵攻を受け,1243年キョセ・ダグの戦に敗れ,以後モンゴル帝国に従属する立場に置かれ,国力を回復しえないまま14世紀初頭には史上から姿を消した。この王朝の時,アナトリアのトルコ化とイスラム化が進行し,その首都コニヤにはモスクやマドラサが数多く建設された。…

※「キョセ・ダグの戦」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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