世界大百科事典(旧版)内のキョル・テギン碑文の言及
【キルギス族】より
…北アジアに祖をもち,のちトルコ化して中央アジアに住む民族。旧ソ連邦の中央アジアに253万(1989)が住み,キルギスタン共和国を構成する主要民族である。キルギス語を話し,自称はキルギズ,大部分がスンナ派のイスラム教徒である。古くはエニセイ川上流域のミヌシンスク地方にいて,中国の漢代にすでに堅昆,鬲昆などの名で知られた民族がその祖と考えられている。この地域では森林・草原の狩猟・牧畜のみならず,小規模灌漑農耕,そしてミヌシンスク金属文化(タシュティク文化)に代表されるような,鉱産資源を活用した冶金・手工業も行われていた。…
【突厥碑文】より
…突厥時代(552‐744)に建てられた大小の石碑。このうち,オルホン川の旧流域ホショ・ツァイダムから発見されたキョル・テギン碑文は732年に,その近辺で発見されたビルゲ・ハガン碑文は735年にそれぞれ建置された。トラ川上流のバイン・ツォクトで発見されたトニユクク碑文は前2者よりさらに早い時代のものと推定されている。…
※「キョル・テギン碑文」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」