世界大百科事典(旧版)内のキリシタン禁令の言及
【鎖国】より
…織田信長は宣教師たちによって唐,天竺,本朝以外の新しい世界と文化の存在を認識した最初の為政者であった。豊臣政権も当初同じ態度を継承していたかにみえたが,1587年6月九州平定後5ヵ条からなるキリシタン禁令(伴天連追放令)を発し,宣教師が国郡の人民を信徒にして神社仏閣の破壊行為に出たことを非難し,〈邪法〉としてその布教を禁じ,宣教師の追放を令した。しかし,この禁令では神仏を妨げないかぎり,貿易と〈きりしたん国〉との往来は自由とされていた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」