世界大百科事典(旧版)内のきれいさびの言及
【遠州流】より
…小堀遠州を流祖とする茶道の流派の一つ。古田織部のあとをうけて将軍家光の茶道師範となった遠州が,大名茶全盛の時代に台子を中心とした〈きれいさび〉の茶法を開いた。それは古典美を発揚した茶室,鎖の間,書院を一体化する建築にあらわされ,その茶法は藤原定家を敬慕するところから出た王朝趣味にもとづいている。…
【小堀遠州】より
…早くより古田織部に茶の湯を学び,品川御殿作事奉行の任にあった1636年(寛永13),同御殿で3代将軍徳川家光に献茶し,ここからいわゆる将軍家茶道師範の称がおこった。大名茶全盛時代にふさわしく茶室,鎖の間(小座敷と書院の中間に位する座敷),書院の一体化をはかり,台子(だいす)の茶法を中心とする〈きれいさび〉の茶を主張した。茶道具においても名物の位付け(中興名物)を定めるとともに,遠州七窯といわれる国焼の振興,塗師近藤道志(石地塗(いじいじぬり))の指導など,茶の湯全般に工夫を行っている。…
※「きれいさび」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」