ギンズブルグ,M.Ya.(読み)ぎんずぶるぐ

世界大百科事典(旧版)内のギンズブルグ,M.Ya.の言及

【構成主義】より

…ロシア国内の生産主義的構成主義は,30年ころその形式主義偏重の傾向を批判され,社会主義リアリズムがそれに取って代わる。一方20年代後半に建設活動が活発となった建築の領域では,ベスニンVesnin3兄弟,ギンズブルグMoisei Ya.Ginzburg(1892‐1946)らの〈現代建築家協会(OSA(オサ))〉(1925結成)が構成主義を名のり,西欧の近代建築運動と歩調をあわせて機能主義建築を主張したが,これも30年代初めには復古的な古典主義に取って代わられた。 1922年ベルリンのロシア美術展において初めて西欧に伝えられた構成主義は,ただちに進歩的な前衛芸術家に受け入れられ,その結果ドイツのモホリ・ナギ,オランダのモンドリアン,ファン・ドゥースブルフ(新造形主義),フランスのル・コルビュジエ,オザンファン(ピュリスム),レジェ(機械主義)らを含める広義の構成主義が成立した。…

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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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