世界大百科事典(旧版)内のクマーラグプタの言及
【グプタ朝】より
…その隆昌のようすは,5世紀初めに北インドを訪れた法顕によって記されている。 第4代クマーラグプタ1世Kumāragupta Iの末年から,エフタルが西北インドに侵入し,カシミールから中央インドに進出した。このため,グプタ帝国の西部領域の支配は乱され,西方世界との貿易は妨げられ,財政は悪化して,美麗で良質な金貨の粗悪化,貨幣鋳造量の著しい減少をもたらした。…
【ナーランダー】より
…7世紀前期には玄奘が,7世紀末期には義浄がここで学んだ。玄奘によると,グプタ朝のクマーラグプタ1世(在位415ころ‐454ころ)が創建し,グプタ後期の諸王やハルシャ・バルダナ王(在位606ころ‐647)も次々と僧院を造営し,数千人の僧徒がいたという。また義浄は,形のよく似た八つの僧院のほか,大ストゥーパその他の建物が連なっていたと記している。…
※「クマーラグプタ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」