クラーク,E.B.(読み)くらーく

世界大百科事典(旧版)内のクラーク,E.B.の言及

【ラグビー】より

…このことによってユニオンラグビーがこれまで守り続けてきた〈アマチュアリズムの精神〉は崩壊をむかえることになった。 一方,日本では1899年(明治32)の秋に慶応義塾大学予科に英語教師として赴任したクラークEdward B.Clark(1874‐1934)とイギリスのケンブリッジ大学の留学から帰国した田中銀之助(1873‐1943)らによってラグビーの指導を受けた慶応の学生達がそれ以前からあった横浜や神戸の外人クラブと対戦を行っている。また,日本体育会体操学校(日本体育大学の前身)でもこれと同時期かあるいはそれ以前(1899年4月~12月)に,同校教師の高橋忠次郎(1870‐1914)によって実験と称した〈ラグビー競技の実演(体験)〉が体操学校生徒に行われている。…

※「クラーク,E.B.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

1969年から続く英国の文学賞「ブッカー賞」の翻訳書部門で、他言語から英語に翻訳された優れた作品に贈られる。翻訳者の仕事を重視し、賞金5万ポンド(約970万円)は作家と翻訳者で折半される。2005年...

国際ブッカー賞の用語解説を読む