世界大百科事典(旧版)内のグルジア問題の言及
【オルジョニキーゼ】より
…内戦期には赤軍の指導者として,ウクライナ,北カフカス,ザカフカスの内戦で活躍。ソ連邦形成をめぐる〈グルジア問題〉で,ロシア共産党中央委員会カフカス局の責任者としてスターリンと共に晩年のレーニンに批判される。スターリン派幹部として党・国家の要職を歴任,30年最高国民経済会議議長,32年重工業人民委員として工業化政策を担当。…
【グルジア】より
…晩年のレーニンはこれを知り,官僚主義的中央集権制に基づく大国主義的抑圧として,スターリンらを厳しく批判した。しかし,この〈グルジア問題〉は,反対派を〈民族主義的偏向〉として切り捨てたスターリン派の勝利をもって終わった。スターリン体制下で〈ムジバニ=オクジャワ裁判〉(1936)などで,土着の活動家が〈民族主義的偏向〉の名の下に大量に粛清された。…
※「グルジア問題」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」