世界大百科事典(旧版)内のグレー,J.の言及
【チューダー朝】より
…この外交上の自立化は同時に宗教上の自立化へと進み,1533年の上訴禁止法によって主権国家の宣言が行われ,ローマ教皇との絶縁,つまり宗教改革を成立させることになった。エドワード6世期になると,まずサマセット公が摂政となり,ついでノーサンバーランド公がその支配をほしいままにして,エドワードの死後自分の息子の妻ジェーン・グレー(ヘンリー7世の曾孫)を女王としたが支持されず,王位はメアリー1世のものとなり,〈九日女王〉ジェーンはロンドン塔で処刑された。このエドワード6世時代にいっそうプロテスタント化した英国国教会がメアリー1世の時代にローマ・カトリックに復帰したこと,さらに彼女がフェリペ2世(1556年からスペイン国王)と結婚したことは,ヘンリー8世以来の主権国家イギリスの進路を逆転させることになった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」