世界大百科事典(旧版)内のケルン共産主義者裁判の言及
【共産主義者同盟】より
…中央委員会内の多数派を占めたのはマルクス=エンゲルス派であったが,ウィリヒ=シャッパー派は,別個の中央委員会をつくって独自活動を繰り広げることとなった。 このような組織的分裂に追打ちをかけたのがプロイセン警察の陰謀〈ケルン共産主義者裁判〉である。52年,この政治裁判においてケルン中央委員会の有力メンバーのほとんどに有罪判決が下されたのち,共産主義者同盟は52年11月,マルクスの提案によって正式に解散する。…
※「ケルン共産主義者裁判」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」