世界大百科事典(旧版)内のケレスティヌスの言及
【ネストリウス】より
…ネストリウスは,キリストにおける神性と人性の区分を明確にするために,〈テオトコス〉の尊称がキリストの完全な人性を損うとしてこれを退けたわけだが,一般には聖母に対する冒瀆と受けとられた。アレクサンドリア主教キュリロスは,ローマ司教ケレスティヌス1世Coelestinus I(在位422‐432)とともに,ネストリウスの教説を異端ときめつけた。問題の解決のために開かれたエフェソス公会議(431)は分裂会議となったが,ネストリウスは罷免され,のち追放の身となり,上エジプトでみじめな死をとげた。…
【風車】より
…もう一つは14世紀初めから現れた塔型風車で,これは機械部分を石造の塔の中に収め,翼車の頂部だけが風の吹く向きに回るようにしたものであった。
[風車の普及]
12世紀に風車がある程度の社会的役割を果たしていたことは,ローマ教皇ケレスティヌス3世(在位,1191‐98)が風車に10分の1税を課したことからもうかがえる。13世紀になると,北西ヨーロッパの平原地方に急速に普及した。…
※「ケレスティヌス」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」