世界大百科事典(旧版)内のケーニヒスベルク城の言及
【ドイツ騎士修道会】より
… 1230年にはラントマイスター,ヘルマン・バルクの下でドイツ騎士修道会はプロイセンに進出し,軍事行動とキリスト教への改宗を遂行した。ほぼ同時に進行しつつあった東方植民運動に合流しつつ54‐55年にはザムラントまで進出し,ケーニヒスベルク城がつくられた。この城は遠征に参加したボヘミア王オタカル2世にちなんで名づけられたものである。…
※「ケーニヒスベルク城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」