世界大百科事典(旧版)内のゲラーシモフ,S.の言及
【ソビエト映画】より
…44年,戦争は勝利に終わったが,〈悪い遺産〉といわれた〈スターリン主義〉とともに,とくに巨匠たちの間に形式主義的な政治主義あるいは芸術至上主義が生まれ,エイゼンシテインの《イワン雷帝》(1944)やプドフキンの《ナヒーモフ提督》(1946)はその〈偏向〉が批判されて改作させられた。こうして映画芸術家に課された自己批判によって新しい前進が始まり,戦争の傷跡の克服を描いたプイリエフI.A.Pyr’ev(1901‐68)監督の色彩音楽映画《シベリア物語》(1947),ゲラーシモフS.Gerasimov監督の《若き親衛隊》(1948)などがつくられた。
[〈雪どけ〉以後]
1953年のスターリンの死後における映画界の〈雪どけ〉現象は,チュフライG.N.Chukhrai(1921‐ )監督《女狙撃兵マリュートカ》(1956),《誓いの休暇》(1959),カラトーゾフM.K.Kalatozov(1903‐73)監督《戦争と貞操》(1957),《送られなかった手紙》(1960)などに代表され,主題と形式の分裂や図式化が指摘されたりもしたが,国際的に高く評価された。…
【ドキュメンタリー映画】より
… イギリスでは,情報省の支配下で,ハリー・ワットの《今夜の目標》(1941),ロイ・ボールティングの《砂漠の勝利》(1943),キャロル・リードとガースン・ケニン編集による英米合作の《真の栄光》(1945)などがつくられた。 ソビエトでは,プドフキン,アレクサンドル・ドブジェンコ(1894‐1956)をはじめ一流監督が戦時ドキュメンタリー製作のために動員され,ナチの侵入後まもなく多くのエピソードからなる《戦闘映画選集》が始まり,セルゲイ・ゲラーシモフ(1906‐72),グリゴリー・コージンツェフ(1905‐73),セルゲイ・ユトケビチ(1904‐85)などの〈戦線映画特集〉が41年11月から42年の終わりまで公開された。また,ロマン・カルメーンの《戦うレニングラード》(1942),レオニード・ワルラーモフの《スターリングラード》(1943)というニュース映画を編集したもの2本と,ドブジェンコの《ウクライナの勝利》(1943‐45)のような長編ドキュメンタリーもつくられた。…
※「ゲラーシモフ,S.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」