世界大百科事典(旧版)内のコジモの言及
【トスカナ大公国】より
…1569年から1860年まで,イタリア中部トスカナ地方にあった大公国。その歴史は1569年,メディチ家のコジモ1世が大公に叙された年に始まる。彼は行政・法律面で統一のとれた国家の建設に努力し,ついでフェルディナンド1世の下で税制改革が行われ,商業・農業が発展して,大公国は繁栄するが,以後国力は衰微の一途をたどった。…
【フィレンツェ】より
…またフィレンツェの勢力はシエナを除くトスカナ一円に拡大した。 1434年にコジモ・デ・メディチが権力を掌握した。彼は政敵を次々に排除し独裁的な地位に達したが,都市国家体制に手をつけることはなかった。…
【メディチ家】より
…メディチ家繁栄の基礎を置いたのはジョバンニ・ディ・ビッチ・デ・メディチGiovanni di Bicci de’ Mediciで,彼は銀行を興し,教皇庁との商取引をてこにこれを一流に育てた。しかしメディチ家がフィレンツェに君臨するのは次のコジモ(C.de’メディチ)の代で,コジモはアビニョン,ロンドンなど国外に多くの支店を出し,政治状況を積極的に利用して莫大な富を築き,メディチ銀行はヨーロッパ屈指の大銀行に成長した。同時にコジモはフィレンツェの事実上の支配者にのし上がり,隠然たる力を振るった。…
【リボルノ】より
…1405年,フィレンツェとピサとのあいだの戦争のとき,リボルノはジェノバの手に移り,21年,ジェノバは10万フィオリーニ金貨でフィレンツェに譲渡した。1571年,メディチ家のコジモ1世がメディチ港の築港を開始した。16世紀末には移住者に対する居住,交通,信仰の自由が認められ,1675年には自由港となって,国際貿易の中心地として繁栄した(1860年まで)。…
※「コジモ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」