世界大百科事典(旧版)内のコルドバ天文台の言及
【グールド】より
…ハーバード大学を卒業してから,ゲッティンゲンでC.F.ガウスに数学と天文学を学んだ後,アメリカ政府の沿岸測量局の経度部長(1852‐67)として,電気通信によって経度を決定する方法を開発し,ヨーロッパとアメリカの経度差を求めるために用いた。1849年には天文学雑誌《Astronomical Journal》を発刊,また,アルゼンチン共和国の依頼でコルドバ天文台を作り(1862),そこで,7万3160星の赤緯帯星表を作り(1884),3万2448星の子午線観測から一般目録を編纂(へんさん)した。彼は南天と北天の観測から,天球を一周して分布する4等より明るい輝星が,天の川に沿ったものと,それに対して約20゜傾斜した帯とに分かれていることを見いだした。…
【天文台】より
…前者には4m,1.5m,1mの反射望遠鏡と60cmのシュミット望遠鏡,後者には2.5mと1mの反射望遠鏡があって,いずれも活躍している。 アルゼンチンではコルドバ天文台,ラ・プラタ天文台がそれぞれ1871年と83年に創設された歴史をもち,ベネズエラのメリダには1mのシュミット望遠鏡をもつルラーノ・デル・ハト天文台がある。 オーストラリアには,既述のようにサイディング・スプリング天文台にイギリス,オーストラリア連合の3.9m反射望遠鏡と1.2mのイギリスのシュミット望遠鏡があって大きい成果をあげている。…
※「コルドバ天文台」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」