コンピエーニュの森(読み)こんぴえーにゅのもり

世界大百科事典(旧版)内のコンピエーニュの森の言及

【第1次世界大戦】より

…中世以来の伝統を誇るハプスブルク家支配の崩壊のあとを追い,ドイツでも11月3日キール軍港で突発した水兵の反乱を契機として革命が誘発され,10日皇帝ウィルヘルム2世のオランダ亡命とともにホーエンツォレルン家の支配は終わった。同年11月11日,ドイツ側の代表となったM.エルツベルガーはパリ郊外のコンピエーニュの森にあった連合軍総司令部で休戦条約に調印し,ここに4年3ヵ月にわたる第1次大戦が終結した。
[ベルサイユ体制の成立]
 ドイツは大戦終結前から,アメリカ大統領ウィルソンの呼びかけた14ヵ条の綱領にもとづく講和の実現を期待していたが,1919年1月18日からフランス外務省で開かれたパリ平和会議に敗戦国は招かれず,米英仏伊日の五大国のあいだで議事が進められた。…

※「コンピエーニュの森」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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