世界大百科事典(旧版)内のゴウォン,Y.の言及
【ナイジェリア】より
…しかし同年5月の連邦制廃止法公布直後に,北部州に在住するイボ族が大量に殺害され,イロンシも7月29日に殺された。この第2次クーデタによってゴウォン中佐Yakubu Gowon(1934‐ )が実権を握り,連邦制が復活した。しかし9月末に北部州で再びイボ族への虐殺が始まり,100万人を超えるイボ族が東部州に帰郷し,東部州と北部州および連邦政府との対立は急速に増大した。…
【ビアフラ戦争】より
…西アフリカのナイジェリア連邦共和国で,1967年7月から70年1月まで継続した内戦で,東部のイボ族と北部のハウサ族との間の部族間・地域間対立が根本的原因であった。1966年8月のクーデタで成立したゴウォン国家元首は,各州間の対立を軟化させるため,67年5月,従来の4州制を改めて北部州を6分割,東部州を3分割するなどの12州制への移行を発表した。これに対して東部州軍政知事でイボ族のオジュクは,直ちに東部州のビアフラBiafra共和国としての分離独立を宣言した。…
※「ゴウォン,Y.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」