サトマールの和(読み)さとまーるのわ

世界大百科事典(旧版)内のサトマールの和の言及

【ラーコーツィ・フェレンツの解放戦争】より

…しかし,大貴族と中貴族,貴族層と農民の対立のために,ハプスブルクの廃位は容易でなく,また,07年以後,フランス,プロイセン,ロシアの援助を受けて国の独立をめざすが,苦戦が続いた。10年ラーコーツィ自らロシアへ援助を求めに行った間に,解放軍は11年サトマールの和を結んだ。ウィーン・ハプスブルク政府は大赦とハンガリー貴族の自治を認めたが,ラーコーツィはフランス,ついでトルコへ亡命した。…

※「サトマールの和」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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