世界大百科事典(旧版)内のサパタ派の言及
【メキシコ革命】より
…こうして革命動乱期の第1段階は政治の民主化を要求するグループによって達成されたが,こののち政治の民主化を第一に求め社会改革を二義的にしか考えなかったマデロ派と,農地改革を要求する南部モレロス州のサパタ農民派の対立が深刻化した。11年11月28日にサパタ派による〈アヤラ計画〉が発表されて農地改革運動への展開が明らかになったが,このマデロ時代(1911年5月~13年2月)が革命動乱期の第2段階である。そして,旧体制派が巻き返してマデロを暗殺し,ウエルタVictoriano Huerta(1854‐1916)反革命政権を樹立したが,このウエルタ時代(1913年2月~14年7月)が動乱期の第3段階である。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」