世界大百科事典(旧版)内のサブクティギーンの言及
【アルプティギーン】より
…アブド・アルマリク1世の下で実権を握り,国政に介入したためホラーサーン総督へと更迭され,さらに君主ヌーフ2世によって,その職を解任され,バルフへ逃亡,962年にサーマーン朝の軍隊を破って,ガズナで独立した。彼の奴隷サブクティギーンSabuktigīn(?‐997)が後継者となり,その後,世襲となったため,史料ではサブクティギーンをガズナ朝の創始者としている。【清水 宏祐】。…
【ガズナ】より
…2世紀のプトレマイオスの地理書に,すでにガザカGazakaの名がみえる。ガズナ朝(977‐1186)の都として知られ,同朝のサブクティギーンとマフムードの墓廟がある。またマフムードの戦勝記念塔が2基,東郊外に立っている。…
※「サブクティギーン」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」