世界大百科事典(旧版)内のサムスイルナの言及
【カッシート】より
…古代オリエントの民族名。カッシート人が初めて記録に現れるのは前1770年ころであるが,集団として言及されるのはバビロン第1王朝サムスイルナ王の治世7年(前1743)ころのことであろう。その後カッシート人は集団として初めはシッパルのあたりに,次いでユーフラテス川中流域に定着し,古バビロニア時代末ころにはテルカを中心とした地域にかなりの勢力を形づくった。…
【メソポタミア】より
…治世晩年に成立した〈ハンムラピ法典〉は,シュメール法とアムル慣習法の融合を示す。次王サムスイルナのとき諸市が反乱し,反乱鎮圧直後に諸市は経済混乱に見舞われ,ウル,ラルサ,ニップールなどは放棄された。また当時,より南方には〈海国Sealand〉が存在した。…
※「サムスイルナ」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」