世界大百科事典(旧版)内のサモリ帝国の言及
【ギニア】より
…19世紀にはトゥクロール族のハジ・ウマルが立ち上がり,セネガンビア地方からさらに東のニジェール川流域地方へと進出して,広大な領域を持つイスラム国家を形成した。ついで19世紀末にはマンデ系のサモリ・トゥーレが出てサモリ帝国を形成し,当時進出を開始したフランス植民地勢力に抵抗した。サモリは現在でも国民的英雄として愛されている。…
【コートジボアール】より
…しかし19世紀末にフランスによって植民地化されるまでは,外界との接触はサハラ縦断交易を通じてのアラブ世界との接触が主で,北部には商業都市コングなどが建設され,繁栄した。そして植民地化前夜の一時期(1887‐96)には,内陸の一部はフランス植民軍に武力抵抗をつづけながら急速に台頭してきたサモリ帝国(第2次)の支配下に入っていた。フランスによる植民地化は1843年,沿岸のアシニの首長との間に保護領条約を結んだのを皮切りに,しだいに内陸部に浸透し,19世紀末までには今日のコートジボアールのほぼ全域の植民地化が完了し,93年,フランス領植民地コート・ジボアールが誕生した。…
※「サモリ帝国」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」