《サレルノ養生訓》(読み)されるのようじょうくん

世界大百科事典(旧版)内の《サレルノ養生訓》の言及

【サレルノ大学】より

…9世紀にはすでに著名な医師が存在し,10世紀にはフランス,イギリスの王族が治療のために訪れるほどの名声を博していた。11世紀末にコンスタンティヌス・アフリカヌスによってそれまでギリシア・ローマ医学を伝統としたサレルノにアラビア医学がもたらされ,12世紀には《サレルノ養生訓Regimen sanitatis salernitanum》など,後に全ヨーロッパに流布した医学著作が多数生み出されて,この医学校は医学の全ヨーロッパ的中心となった。また,ここで作成された医学教育のカリキュラムは,パリをはじめとする中世大学の医学教育に導入されて,後世まで影響を与えた。…

※「《サレルノ養生訓》」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む