世界大百科事典(旧版)内のサン・イルデフォンソ条約の言及
【ウルグアイ】より
…植民地時代にバンダ・オリエンタルと呼ばれたこの地域は貴金属に乏しく長らく放置されてきたが,1680年にポルトガルがコロニア・ド・サクラメント(現,コロニア市)を商業活動の拠点として建設して以来,この地域をめぐって両国の間で激しい争奪戦が繰り広げられた。1726年スペインはモンテビデオ市を建設し,76年リオ・デ・ラ・プラタ副王領の設置に伴ってバンダ・オリエンタルはその一部となり,翌年のサン・イルデフォンソ条約によりスペインの領有が確認された。
[独立へ]
1810年ブエノス・アイレス市で独立運動が開始されると,それに呼応してバンダ・オリエンタル農村部の有力者アルティガスが蜂起し,14年までに王党派を追放することに成功した。…
※「サン・イルデフォンソ条約」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」