世界大百科事典(旧版)内のサンド・リバー協定の言及
【グレート・トレック】より
…ナタールを脱したボーア人はオレンジ川以北に定着したボーア人と合流した。イギリスはこれらも支配しようとしたが,ボーア人の反抗とバスト族などの抵抗にあい,52年サンド・リバー協定によってバール川以北にトランスバール共和国が,54年にはブルームフォンテーン協定によってオレンジ自由国が建国された。【林 晃史】。…
【トランスバール共和国】より
…現在は南ア共和国北東部のトランスバールTransvaal州となっている。1835年からのボーア人の内陸への大移動(グレート・トレック)の結果,バール川以北にボーア人の自治国が建国され,イギリス政府も52年のサンド・リバー協定によってこれを承認,M.プレトリウスが初代大統領となった。海への出口を持たない同国の財政は苦しく,政治的安定を欠いていた。…
※「サンド・リバー協定」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」