サンド・リバー協定(読み)さんどりばーきょうてい

世界大百科事典(旧版)内のサンド・リバー協定の言及

【グレート・トレック】より

…ナタールを脱したボーア人はオレンジ川以北に定着したボーア人と合流した。イギリスはこれらも支配しようとしたが,ボーア人の反抗とバスト族などの抵抗にあい,52年サンド・リバー協定によってバール川以北にトランスバール共和国が,54年にはブルームフォンテーン協定によってオレンジ自由国が建国された。【林 晃史】。…

【トランスバール共和国】より

…現在は南ア共和国北東部のトランスバールTransvaal州となっている。1835年からのボーア人の内陸への大移動(グレート・トレック)の結果,バール川以北にボーア人の自治国が建国され,イギリス政府も52年のサンド・リバー協定によってこれを承認,M.プレトリウスが初代大統領となった。海への出口を持たない同国の財政は苦しく,政治的安定を欠いていた。…

※「サンド・リバー協定」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む