世界大百科事典(旧版)内のサン・リキエ修道院教会の言及
【カロリング朝美術】より
…カロリング朝が支配したフランク王国で,8世紀後半から9世紀末にかけて栄えた美術。カロリング・ルネサンスとよばれる古代文化復興運動は特に,カール大帝が戴冠した800年ころより急激に美術の分野にも及んだ。伝統的にゲルマン人は抽象的な芸術感覚をもち,装飾にはおもに幾何学文を用いていた。当時イタリア北部を含むヨーロッパ大陸北部には,抽象文が主であるが人像表現ももつアイルランド系美術の影響が既に浸透して,先立つメロビング朝絵画には抽象文のほか若干の人物像も登場する。…
【塔】より
…1334‐87)は有名である。フランスのプレ・ロマネスク期(カロリング朝期)のサン・リキエ修道院教会は,東西の内陣上部の30mに達する木造の塔をはじめ,計9基の塔をそなえている(790‐800)。11世紀末になると,教会堂に塔を建てることが一般化し,ドイツではケルンのザンクト・アポステルン教会(1035~13世紀),シュパイヤー大聖堂(1030‐61),ウォルムス大聖堂(1110‐81,13世紀)などに,多くの塔が建てられた。…
※「サン・リキエ修道院教会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」