世界大百科事典(旧版)内のザクセン選帝侯領の言及
【ザクセン】より
…さらに,1423年フリードリヒ1世好戦侯Friedrich I der Streitbare(在位1381‐1428)は,上述ハインリヒ獅子公の失脚いらい2世紀半にわたってアスカニア家の手中にあったザクセン大公の地位を,選帝侯位ならびに帝国式部長官位とともにみずからの掌中にした。そして,これ以降,ウェッティン家の領有するその他の諸邦も,ザクセン選帝侯領Kurfürstentum Sachsenの名を冠してよばれることになったのである。 ところで,1485年の家産分割に際してこのウェッティン家の領土は2系に分けられ,エルンスト系Ernestinerは選帝侯位とウィッテンベルク,ならびにチューリンゲンの大部分を,他方のアルベルト系Albertinerはマイセン辺境伯領と旧プライセンラントなどを領有することになった。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」