ザトボルニク,I.(読み)ざとぼるにく

世界大百科事典(旧版)内のザトボルニク,I.の言及

【ユロージビー】より

…またキリスト教徒の間では精神遅滞者や狂人を神の使いとして,それに同情を示し,さらに敬意をはらう習慣があったので,佯狂の修行者が各地を遍歴しながら生活することが可能であった。 ロシアにおいては,アンドレアス・サロスの事跡がキリスト教の公的受容とともに知られていたが,最初のユロージビーは11世紀後半のキエフ洞窟修道院の修道士イサアク・ザトボルニクIsaak Zatvornikとされている。その後しばらく伝統が絶えるが,16世紀はユロージビーの活動が最も目だった時期であり,特にモスクワのワシーリー・ブラジェンヌイVasilii Blazhennyi(1469‐1552)の名がよく知られている。…

※「ザトボルニク,I.」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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