世界大百科事典(旧版)内のザハリヤン家の言及
【アルメニア】より
…11世紀初め,ビザンティンの拡大政策とセルジューク朝の侵入が相前後して起こり,最終的にアルメニアは半イスラム化した遊牧トルコ人の遊牧地となり,セルジューク朝系の種々の政権に分割された。12~13世紀初期は,クルド系アルメニア人ザハリヤン家がグルジア王の宗主権のもとに北東アルメニアを再征服したが,ホラズム,モンゴル両帝国軍の数次にわたる遠征と征服のために国土は再び荒廃した。 10世紀末以来多くのアルメニア人は故郷を捨て,北シリアやキリキアに移住したが,キリキア・アルメニア王国(1080‐1375)はシルクロード交易の門戸として栄えた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」