世界大百科事典(旧版)内のザンクト・ミヒャエル教会の言及
【オットー美術】より
…10世紀半ばから11世紀半ばにかけての約100年間に興隆したドイツ中世初期の美術。時代は,カロリング王朝分裂後にドイツの政治的統一を完成したザクセン朝(919‐1024)にほぼ重なるが,同朝の3人のオットー帝(1~3世)治下で美術が著しい発展を見せたため,こう呼ばれる。この美術は次のザリエル朝の創始者および2代皇帝の時代にも継承された。オットー美術の源泉としては次の三つが挙げられる。(1)先行するカロリング朝美術(とりわけ写本画),(2)古代末期と初期キリスト教美術,(3)同時代のビザンティン美術(972年,オットー2世とビザンティン皇妃テオファノとの結婚などによる)。…
【ヒルデスハイム】より
…現在は電子・電気器機,化学・薬品の製造など先端的産業も行われている。【山田 欣吾】
[美術]
ザンクト・ミヒャエル教会,大聖堂,ザンクト・ゴデハルト教会の3教会堂が中世の創建として知られる。いずれも第2次大戦中大きな被害を受けたが,戦後すぐ再興された。…
※「ザンクト・ミヒャエル教会」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」