世界大百科事典(旧版)内のザンダカ主義の言及
【マニ教】より
…マニはササン朝のシャープール1世の厚遇を得て,インドに及ぶ精力的な伝道活動を行ったが,次々王ワラフラン1世の宗教政策転換により殉教した。死後も教義は後継者の手により,4世紀には西方では,エジプト,北アフリカ,さらにイベリア半島にまで伝えられ,イスラム時代以降も,ザンダカ主義のような形でイラン系知識人の間に影響を残した。 マニ自身はアラム語の一方言で記述したが,シャープール1世に献呈した《シャーブーラガーン》という中世ペルシア語書の存在したことも伝えられている。…
※「ザンダカ主義」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」