世界大百科事典(旧版)内のシタエルマン,E.M.の言及
【ローマ没落史観】より
…両者の説はさまざまな実証的批判を受けてはいるが,今日では単純な文化没落説は姿を消し,ローマ没落の問題を価値判断を含む〈没落〉という観点からではなく,古代世界の変容,古代から中世への漸次的移行として考える傾向が強く,内因論の焦点も元首政から専制君主政への移行期である3世紀の危機の構造的解明に当てられている。この問題においてウェーバー,ロストフツェフと並んで影響が大きいのは,3世紀の危機を,都市的土地所有の上に展開した奴隷制ウィラと,都市領域外の私的大所領で発展した分割地小作制という二つの生産様式の間の闘争ととらえるソ連のシタエルマンE.M.Shtaermanの立論である。 他方,これら多様な内因論に対して外因論を採る者としては,対外危機が国内危機を惹起(じやつき)するとして3世紀にユーラシア大陸規模で展開された国際関係にローマ帝国変質の契機をみるアルトハイムF.Altheim,ローマ文明は天寿をまっとうしたのではなく〈暗殺〉されたのだとするピガニョールA.Piganiol,同じく増大するゲルマンの外圧に没落の主因をみるジョーンズA.H.M.Jonesらがいる。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」