シネマ・インターナショナル・コーポレーション(読み)しねまいんたーなしょなるこーぽれーしょん

世界大百科事典(旧版)内のシネマ・インターナショナル・コーポレーションの言及

【パラマウント[会社]】より

…そのなかで,アカデミー賞に輝いた《我が道を往く》(1944)や《失われた週末》(1945)などの〈良心作〉も製作され,また,ボブ・ホープ主演の喜劇(《南米珍道中》(1947)などの《珍道中》シリーズ,《腰抜け二挺拳銃》(1948))が大ヒットしたりしたが,50年,独占禁止法によって製作・配給会社パラマウント・ピクチャーズと興行会社ユナイテッド・パラマウント・シアターズ・インコーポレーテッドに分割されて,企業としての力を弱め,この打撃とテレビジョンの脅威に耐えて,新しい喜劇コンビ,ディーン・マーティン=ジェリー・ルイスの《底抜け》シリーズ(1949‐56)や《サンセット大通り》(1950),《陽のあたる場所》(1951),《地上最大のショウ》(1952),《シェーン》(1953)などのヒットによってやや安定し,また,54年に20世紀フォックスのシネマスコープに対抗してビスタビジョンを開発(のちに,このシステムは費用がかかりすぎることが判明し,代わりにパナビジョンを採用),《裏窓》(1954),《十戒》(1956),《OK牧場の決闘》(1957),《めまい》(1958),《サイコ》《ベケット》(ともに1960)などのヒット作を出したものの,ハリウッドの深刻な不況のなかで66年11月,大手のコングロマリット,ガルフ&ウェスタン・インダストリーズに吸収され,67年にテレビ映画製作の子会社パラマウント・テレビジョン・インダストリーズが新設された。 その後,俳優出身のロバート・エバンズRobert Evans(1966年に製作担当副社長として入社),営業・宣伝マン出身のフランク・ヤブランズFrank Yablans(1971‐75社長)という30歳代のプロデューサーを首脳に迎えて《ローズマリーの赤ちゃん》(1968),《ある愛の詩》(1970),《ゴッドファーザー》(1972),《ペーパー・ムーン》(1973),《チャイナタウン》(1974)といった話題作を製作して成功するが,69年には配給会社CIC(シネマ・インターナショナル・コーポレーション)が設立され,71年までにパラマウントとユニバーサルの海外配給部門を統合,実質的な整理と合理化が行われた。エバンズとヤブランズは,コングロマリットに拘束されない自由な製作をめざして職を辞し,独立プロデューサーに転じたが,パラマウントはその後も《サタデー・ナイト・フィーバー》(1977),《グリース》(1978),《天国から来たチャンピオン》(1978)などのヒットを飛ばした。…

【ユニバーサル[会社]】より

… 70年代初めには〈グランド・ホテル形式〉のパニック映画の流行のさきがけになったジョージ・シートン監督の《大空港》(1970),1920年代,30年代のアメリカへのノスタルジー・ブームを生むきっかけの一つになったジョージ・ロイ・ヒル監督の《スティング》(1973),50年代ブームのさきがけとなったジョージ・ルーカス監督の青春映画《アメリカン・グラフィティ》(1973),それまでの興行記録をすべて打ち破ったスティーブン・スピルバーグ監督の海洋パニック映画《ジョーズ》(1975)などの話題作が成功,また,78年には,イギリス最大のレジャー会社EMI(エレクトリック・アンド・ミュージック・インダストリーズ)が製作したマイケル・チミノ監督の〈ベトナム物〉の大作《ディア・ハンター》を配給して成功を収めた。その一方,1970年から経営の合理化に着手し,パラマウントとともにアメリカ本国とカナダを除く世界各国に対する配給部門を独立させ,新会社CIC(シネマ・インターナショナル・コーポレーション)を設立,今日に至っている。【柏倉 昌美】。…

※「シネマ・インターナショナル・コーポレーション」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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