世界大百科事典(旧版)内のシネマ・ノーボの言及
【ラテン・アメリカ映画】より
…《野性の男》の企画・製作に加わったカバルカンティは,次いで若い映画作家を育成するために挺身し,国立映画協会の設立と映画助成金制度の設置に貢献した。その成果が60年代前半に起こったいわゆる〈新しい映画(シネマ・ノーボcinema novo)〉の動きで,〈ブラジルのヌーベル・バーグ〉〈第三世界の映画〉と喧伝され,64年のカンヌ映画祭で注目されたネルソン・ペレイラ・ドス・サントスNelson Pereira dos Santos(1928‐ )監督《乾いた生活》(1963)に次いで,グラウベル・ローシャGlauber Rocha(1938‐81)(《黒い神と白い悪魔》1964),カルロス・ディエゲス(《ガンガ・ズンバ》1963),ルイ・ゲッラ(《欲望の浜辺》1963)らが脚光を浴びた。ソビエト映画のモンタージュとアメリカ西部劇の活劇性をとりまぜた〈シネマ・ノーボ〉は,1960年代の世界の映画に圧倒的な勢力を誇示したものの(その一つの頂点が〈ブラジルの歴史と神話を覆し,告発した〉グラウベル・ローシャ監督の《アントニオ・ダス・モルテス》(1969)であった),71年にはローシャはブラジルの政治的圧力から逃れてヨーロッパに亡命,思うままに映画を撮ることができぬまま,81年に42歳でこの世を去った。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」